熊本郷土史譚研究所の堤です。
今回は、
第十四代 菊池武士(たけひと)の苦悩について
書いてみました。
その導入部分を紹介します。
はじめに-
菊池第十二代武時~第十五代武光の時代は「南北朝前期」に当り、「南朝一辺倒」の菊池氏の最も盛んだった時期でした。
既号第25・26号で第十三代菊池武重について見てきましたが、今回は菊池第十四代武士(たけひと)について見ていきたいと思います。
武士は菊池家の歴代当主の中で、どんな存在だったのでしょうか。
まず略系譜を見て下さい。
14代
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武 士
法名寂照
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◆又次郎。武時の11子。(母は赤星有隆の女と従一位権大納言藤原宣房の姫〔正妻〕説あり) 元応二(1322)年生まれか、肥後守。
◆興国三(1342)年春に21歳で相続か(虚弱体質)。
◆南朝衰退兆候期の当主。武敏の軍事的手腕による補佐。
◆興国元(1339)年三月、懐良親王の下向開始
(11年後の正平四〔1349〕年懐良親王の菊池到着)。
同二(1341)年頃武敏九州から姿を消す。
◆同三(1342)年八月「天罰起請文の事」、十月「武士譲状」、同五(1344)年十一月「武士請文」、武光に家督譲って隠居(24歳)、30歳で出家。
◆和歌「袖ふれし花も昔をわすれずば、我が墨染をあはれとは見よ」(墨染桜)
◆応永八(1401)三月没・享年91歳(81歳説あり)
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これからわかるように、第十四代の武士は虚弱体質でした。
第十三代の武重(第十二代武時の二男)は数多いる弟たちの中から、兄に当たる武光(十男)に家督を譲らないで、何故かその弟の武士(十二男)に家督を相続させています。
その理由は現在のところよくわかっていません。
その武士は僅か三か年ほどで、兄武光に第十五代の家督を移譲、自らは24歳で隠居、30歳で出家してしまっています。
その背景には何があったのでしょうか。上米良純臣編著『菊池一族遺文集』(私家版 1988年)や井沢長秀著『菊池伝記』所収の菊池武士の起請文などで見ていくことにします。
下の写真は、第十三代 菊池武重の
「よりあひしゆのなひたんの事」の一部と
第十四代 武士を主人公とした創作能
の原稿の一部です。
今回の郷土史譚では、この文章も解読してご紹介しています。
熊本郷土史譚研究所では、毎月15日に「くまもと郷土史譚つうしん」を
発行しています。
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熊本郷土史譚研究所 代表 堤 克彦
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