2013年10月1日火曜日

月刊「熊本郷土史譚通信」会報 第31
  特集 菊池第十五代武光の事績(4) 
-菊池武光と「正観寺」建立と「菊池五山」制-

熊本郷土史譚研究所の堤です。

今回は、

  特集 菊池第十五代武光の事績(4) 


-菊池武光と「正観寺」建立と「菊池五山」制-


その導入部分を紹介します。

 
  既号で紹介したように、第十五代菊池武光は、正平三(1348)年二月頃、「征西将軍   
 宮」懐良親王を菊池に迎え入れました。第28号では1年遅れの正平四(1349)年説で論じ 
 ましたが、本号から通説とされる「正平三(1348)年説」を採用することにします。

それから11年後の正平十四(延文四〔1359〕)年七・八月の「筑後川の戦い」(大原合

戦・大保原合戦)では、博多港と太宰府を支配していた少弐頼尚勢に勝利しました。そ

して2年後の正平十六(1361)年八月十六日には、懐良親王・菊池武光ら南朝方は「大

宰府入り」を果しました。

さらに2年後の正平十八(1363)年には「征西将軍府」を開設し、応安五(1372)年の

太宰府陥落までの約10年間(正平十六〔1361〕年八月十六日の「大宰府入り」からの12

年説もある)は、太宰府に「征西将軍府」が置かれ、九州における南朝方の全盛時代で

した。

菊池武光は、征西将軍宮懐良親王が「菊池入り」した正平三(1348)年を契機に、「守

山城」の築城を開始しています。

 同時に臨済宗系の「熊耳山正観寺」を建立したり、また「京都五山」の制をまねて

「菊池五山制」を実施したり、さらに「松囃子能」や「通物」(俄行列)を始めるな

ど、仏教・芸能の振興事業を矢継ぎ早に実施しています。

これらの背景には、10歳頃に京都を離れ、10年程かけて菊池に到着し、すでに20歳前後

になっていた「征西将軍宮」の懐良親王を慰めるために、菊池武光が当時京都で流行し

ていた文化や芸能を、意識的に菊池の地に持ち込んだとされています。

本号では「熊耳山正観寺」建立と「菊池五山」の制について見ていくことにします.これ

らの事業は、菊池武光にとってどんな理由や目的によるものであったのかを、歴史学 

的・民俗学的な視点を踏まえながらの考察を試みてみたいと思います。

                             南福寺




 写真は「菊池五山」です。                
「菊池五山」巡りも、おもしろいオル

レコースになります。






       大琳寺



                                              
                              






                         北福寺















        西福寺

                        




                             





       東福寺



   





    











 

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熊本郷土史譚研究所 代表 堤 克彦