月刊「熊本郷土史譚通信」会報 第31号
特集 菊池第十五代武光の事績(4)
-菊池武光と「正観寺」建立と「菊池五山」制-
熊本郷土史譚研究所の堤です。
今回は、
特集 菊池第十五代武光の事績(4)
-菊池武光と「正観寺」建立と「菊池五山」制-
その導入部分を紹介します。
既号で紹介したように、第十五代菊池武光は、正平三(1348)年二月頃、「征西将軍
宮」懐良親王を菊池に迎え入れました。第28号では1年遅れの正平四(1349)年説で論じ
ましたが、本号から通説とされる「正平三(1348)年説」を採用することにします。
それから11年後の正平十四(延文四〔1359〕)年七・八月の「筑後川の戦い」(大原合
戦・大保原合戦)では、博多港と太宰府を支配していた少弐頼尚勢に勝利しました。そ
して2年後の正平十六(1361)年八月十六日には、懐良親王・菊池武光ら南朝方は「大
宰府入り」を果しました。
戦・大保原合戦)では、博多港と太宰府を支配していた少弐頼尚勢に勝利しました。そ
して2年後の正平十六(1361)年八月十六日には、懐良親王・菊池武光ら南朝方は「大
宰府入り」を果しました。
さらに2年後の正平十八(1363)年には「征西将軍府」を開設し、応安五(1372)年の
太宰府陥落までの約10年間(正平十六〔1361〕年八月十六日の「大宰府入り」からの12
年説もある)は、太宰府に「征西将軍府」が置かれ、九州における南朝方の全盛時代で
した。
太宰府陥落までの約10年間(正平十六〔1361〕年八月十六日の「大宰府入り」からの12
年説もある)は、太宰府に「征西将軍府」が置かれ、九州における南朝方の全盛時代で
した。
菊池武光は、征西将軍宮懐良親王が「菊池入り」した正平三(1348)年を契機に、「守
山城」の築城を開始しています。
山城」の築城を開始しています。
同時に臨済宗系の「熊耳山正観寺」を建立したり、また「京都五山」の制をまねて
「菊池五山制」を実施したり、さらに「松囃子能」や「通物」(俄行列)を始めるな
ど、仏教・芸能の振興事業を矢継ぎ早に実施しています。
「菊池五山制」を実施したり、さらに「松囃子能」や「通物」(俄行列)を始めるな
ど、仏教・芸能の振興事業を矢継ぎ早に実施しています。
これらの背景には、10歳頃に京都を離れ、10年程かけて菊池に到着し、すでに20歳前後
になっていた「征西将軍宮」の懐良親王を慰めるために、菊池武光が当時京都で流行し
ていた文化や芸能を、意識的に菊池の地に持ち込んだとされています。
になっていた「征西将軍宮」の懐良親王を慰めるために、菊池武光が当時京都で流行し
ていた文化や芸能を、意識的に菊池の地に持ち込んだとされています。
本号では「熊耳山正観寺」建立と「菊池五山」の制について見ていくことにします.これ
らの事業は、菊池武光にとってどんな理由や目的によるものであったのかを、歴史学
的・民俗学的な視点を踏まえながらの考察を試みてみたいと思います。
らの事業は、菊池武光にとってどんな理由や目的によるものであったのかを、歴史学
的・民俗学的な視点を踏まえながらの考察を試みてみたいと思います。
熊本郷土史譚研究所では、毎月15日に「くまもと郷土史譚つうしん」(一部300円、年
間購読料3500円)を発行しています。
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〒861-1323
熊本県菊池市西寺1700-7
電話/FAX 0968-25-3120
熊本郷土史譚研究所 代表 堤 克彦